【IPAチャンネル】古代日本(倭国)は東アジアの国際国家だった? – 九州の神社めぐりが100倍楽しくなる古代ロマンと歴史豆知識 (鈴木vol.263)

東アジアのなかで、日本という国と文明が、いつ、どのような経緯を経て、成立したのか?…永遠のテーマですが、それを考えるヒントは、九州北部各地に点在する神社に伝わる伝承や神話にあり、そして、中国や朝鮮に伝わる歴史や碑文にもあると思います。

以下は私の仮説ですが、「倭国」と呼ばれた、古代の日本国家らしきものは、朝鮮半島を中心とするアジア大陸から、稲作技術とフロンティア精神をもって海を渡り、日本列島の九州、瀬戸内、畿内といった新天地を開拓した農耕民を主体とする国だったと思います。

倭国の版図は、西暦3~5世紀においては、おそらく朝鮮半島南部から西日本にまたがっていたと思われます。その時代に活躍したのが3世紀前半の卑弥呼であり、4世紀後半の神功皇后、そして朝鮮半島におけるライバル・高句麗の広開土王でした。彼らが黎明期の東アジア史を彩る英雄であったわけです。

時代が下り、西暦6~7世紀にかけて、倭国の勢力が朝鮮半島から駆逐され、新羅による朝鮮統一王朝が成立しました。朝鮮半島を諦めた倭国(大和王朝)は、日本列島内で東と北に版図を広げ、9世紀初頭までに、北海道を除く、本州・四国・九州のぼぼ全域を王権の影響下におさめ、いまの日本国に近い領土が確定したと思われます。

そんな豆知識を踏まえて、香椎宮、宗像大社、宮地嶽神社といった、九州地方の寺社や名刹を回ると、旅が100倍楽しめるはずです。

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